父とマロン
こんにちは。
表題の父とマロンについてのお話です。
1月21(月)・22日(火)は用事があり、東京・実家に行く予定でした。
ひとりで行くか、みんな行くか考えていましたが、行くのをやめることも考えていました。
実は17日(木)のお散歩中からマロンが何かを痛がるようになり、通院していました。
17日(木)夜は触診・鎮痛剤皮下注射、18日(金)夜はレントゲン検査、
19日(土)午後は半日預かりでレントゲン・エコー・CT検査、夜にお迎えで鎮痛薬処方、
そして24日(木)朝は触診・鎮痛薬処方、さらに4月にまたレントゲン検査を受診することに
なっています。
結局のところハッキリとした原因はわからず、ただいろいろな検査の中で、
多少の内臓疾患が予想されるとのことで、出来れば安静にとのことでした。
そんな中で19日(土)の半日預かり以降は痛がる様子を見せず、
いつもと変わらない元気なマロンですが、これからは今まで以上にマロンの様子をよく見て、
無理をさせないようにしたいと思います。
そんなこともあり、21日(月)・22日(火)の東京・実家へ行くことをやめて、
マロンとずっと一緒にいようと思っていましたが、
19日(土)午後の半日預かりのあと帰宅してマロンのことを心配していたところ、
母から電話があり、父が今日入院することになったとのことでした。
母の話を聞くと偶然なのか、
マロンが体調を崩し始めた17日(木)頃から父も体調が優れなくなり、
検査に通院していましたが、19日(土)の検査のあとにそのまま入院となりました。
マロンのこともあり、東京へ行くのをやめようと思っていましたが、
21日(月)・22日(火)とダンナさまが連休を取り、マロンとずっと一緒にいてくれるとのことで、
ひとり東京に行くことにしました。
20日(日)に電車のチケットを用意したり、指定席を確保したり、
21日(月)に東京へ到着後、用事を済ませて、副都心線・北参道駅から病院に向かいました。
父の顔は少しだけ元気そうにも見えましたが、45分くらい話をしたあとに検査に呼ばれて、
私も次の用事があったのでそのまま病院をあとにて小田急線・南新宿駅から
実家に向かいました。
そのあと用事を済ませたあとに実家に帰宅、父のことで母も疲れていたのにも関わらず、
いつものように食事を用意していてくれました。
翌日22日(火)も朝から出掛けて用事を済ませて、一度実家に帰宅、
そこから母と一緒に病院に出掛けました。
この日の父の顔は天井を見ながらも、どこか遠くを見つめるかのようにボーッとしていて
とても心配になりました。
この日も午前中から長い検査などがあり、疲れてしまったみたいです。
私や母と話しているうちに表情が少し元気になりました。
ゆっくり1時間40分ほど一緒に過ごしたあと、私は帰りの電車もあり、
病院をあとにして、山手線・代々木駅から自宅への帰路に着きました。
そのあとからは姉も会社を休んだり、半休したり、会社帰りに立ち寄ったりとしてくれて、
父はもちろん、母も私も気持ち的にもとても助かりました。
24日(木)はマロンの通院もありましたが、それでもずっと両親のそばにいた方が
よかったのでは?と葛藤しつつ、28日(月)はみんなで東京を訪れることにしました。
28日(月)朝、自宅を出発、笹子トンネルは対面通行をしていましたが、
心配でずっと一般道で東京へ訪れました。
途中、道の駅甲斐大和で休憩しつつ、お散歩しました。
道の駅甲斐大和上空
まだこの辺りは多く雪が残って
3~4年前に一度一般道で東京・実家を訪れましたが、久しぶりに訪れて、
やはり遠い…そして多少の山道、自家用車では乗り物酔い止め薬は飲みませんが、
この日は飲んでおいた方がよかったかなというような、そこまでではありませんが、
頭痛と目眩がありました。
途中、八王子で友人のお家を訪ねましたがお留守、
そのまま近くの道の駅八王子滝山で休憩とランチをして、また出発しました。
当初、私たちはもちろん、マロンの気分転換に東京・下町辺りを散策、
病院で母と姉と待ち合わせ、母と一緒に帰り実家に送り届ける予定でしたが、
思った以上に一般道で来て時間が掛かったので、実家に近いパン屋さんにだけ立ち寄り、
実家に向かい、マロンを少しお散歩させて、母との再会を分かち合ってから
一緒に病院を訪れました。
パン屋さん
uneclef
病院に到着後、1時間くらいしてお仕事帰りの姉が来て、しばらくしてから
今までの検査結果説明を担当Drからお話を伺いました。
2時間ほど病院で過ごし、途中ダンナさまは車でお留守番していてくれている
マロンの様子を見に行ったてくれたりしながら、もう少しいるという姉を残して、
病院をあとにしました。
実家に母を送り届けたあと、程ほどに疲れ果てている私たちは、調布ICから大月ICまでは
中央道で帰ることにしました。
途中、談合坂SAでみんなで食事をし、寒い中ではありましたが、お散歩も少ししました。
そして混雑している時間ではないからと、そのまま自宅最寄ICまで中央道で帰宅、
22時30分すぎに帰宅しました。
父の病名については伏せておきますが、食事を摂ることは問題ないはずなのですが、
入院する少し前から入院以降もほとんど食事をとることが出来ていません。
ほぼ普通食でしたが、あまるにも食べられず、入院5日目から喉越しがいいものをと、
重湯にスープにお茶、そしてジュース2種類、それでも一進一退を繰り返すように、
重湯とスープを5割、8割ほど食べられたかと思ったら、スープのみだったり…
固形物はもちろん、液体状でも嘔吐してしまう状態でした。
そんな父ですが、本日無事に退院しました。
病気の治療は完了、ただいろいろな検査の中でまだ気になることもあり、
これからも通院治療をします。
もちろん食事面も気になり、そんなお世話をする母の負担も気になりますが、
きっと自宅に帰宅して父もホッとしていることと思います。
今回、父とマロンのことがあり、そして誰もが気になるものを抱えつつ通院しながら
日々を過ごしていますが、健康であることの有難さをまたあらためて実感しました。
大切な家族に起こる出来事は、家族全体の問題になり、
家族の支えによってまた元気になれることが本当にいいことだと思います。
表題の父とマロンについてのお話です。
1月21(月)・22日(火)は用事があり、東京・実家に行く予定でした。
ひとりで行くか、みんな行くか考えていましたが、行くのをやめることも考えていました。
実は17日(木)のお散歩中からマロンが何かを痛がるようになり、通院していました。
17日(木)夜は触診・鎮痛剤皮下注射、18日(金)夜はレントゲン検査、
19日(土)午後は半日預かりでレントゲン・エコー・CT検査、夜にお迎えで鎮痛薬処方、
そして24日(木)朝は触診・鎮痛薬処方、さらに4月にまたレントゲン検査を受診することに
なっています。
結局のところハッキリとした原因はわからず、ただいろいろな検査の中で、
多少の内臓疾患が予想されるとのことで、出来れば安静にとのことでした。
そんな中で19日(土)の半日預かり以降は痛がる様子を見せず、
いつもと変わらない元気なマロンですが、これからは今まで以上にマロンの様子をよく見て、
無理をさせないようにしたいと思います。
そんなこともあり、21日(月)・22日(火)の東京・実家へ行くことをやめて、
マロンとずっと一緒にいようと思っていましたが、
19日(土)午後の半日預かりのあと帰宅してマロンのことを心配していたところ、
母から電話があり、父が今日入院することになったとのことでした。
母の話を聞くと偶然なのか、
マロンが体調を崩し始めた17日(木)頃から父も体調が優れなくなり、
検査に通院していましたが、19日(土)の検査のあとにそのまま入院となりました。
マロンのこともあり、東京へ行くのをやめようと思っていましたが、
21日(月)・22日(火)とダンナさまが連休を取り、マロンとずっと一緒にいてくれるとのことで、
ひとり東京に行くことにしました。
20日(日)に電車のチケットを用意したり、指定席を確保したり、
21日(月)に東京へ到着後、用事を済ませて、副都心線・北参道駅から病院に向かいました。
父の顔は少しだけ元気そうにも見えましたが、45分くらい話をしたあとに検査に呼ばれて、
私も次の用事があったのでそのまま病院をあとにて小田急線・南新宿駅から
実家に向かいました。
そのあと用事を済ませたあとに実家に帰宅、父のことで母も疲れていたのにも関わらず、
いつものように食事を用意していてくれました。
翌日22日(火)も朝から出掛けて用事を済ませて、一度実家に帰宅、
そこから母と一緒に病院に出掛けました。
この日の父の顔は天井を見ながらも、どこか遠くを見つめるかのようにボーッとしていて
とても心配になりました。
この日も午前中から長い検査などがあり、疲れてしまったみたいです。
私や母と話しているうちに表情が少し元気になりました。
ゆっくり1時間40分ほど一緒に過ごしたあと、私は帰りの電車もあり、
病院をあとにして、山手線・代々木駅から自宅への帰路に着きました。
そのあとからは姉も会社を休んだり、半休したり、会社帰りに立ち寄ったりとしてくれて、
父はもちろん、母も私も気持ち的にもとても助かりました。
24日(木)はマロンの通院もありましたが、それでもずっと両親のそばにいた方が
よかったのでは?と葛藤しつつ、28日(月)はみんなで東京を訪れることにしました。
28日(月)朝、自宅を出発、笹子トンネルは対面通行をしていましたが、
心配でずっと一般道で東京へ訪れました。
途中、道の駅甲斐大和で休憩しつつ、お散歩しました。
3~4年前に一度一般道で東京・実家を訪れましたが、久しぶりに訪れて、
やはり遠い…そして多少の山道、自家用車では乗り物酔い止め薬は飲みませんが、
この日は飲んでおいた方がよかったかなというような、そこまでではありませんが、
頭痛と目眩がありました。
途中、八王子で友人のお家を訪ねましたがお留守、
そのまま近くの道の駅八王子滝山で休憩とランチをして、また出発しました。
当初、私たちはもちろん、マロンの気分転換に東京・下町辺りを散策、
病院で母と姉と待ち合わせ、母と一緒に帰り実家に送り届ける予定でしたが、
思った以上に一般道で来て時間が掛かったので、実家に近いパン屋さんにだけ立ち寄り、
実家に向かい、マロンを少しお散歩させて、母との再会を分かち合ってから
一緒に病院を訪れました。
病院に到着後、1時間くらいしてお仕事帰りの姉が来て、しばらくしてから
今までの検査結果説明を担当Drからお話を伺いました。
2時間ほど病院で過ごし、途中ダンナさまは車でお留守番していてくれている
マロンの様子を見に行ったてくれたりしながら、もう少しいるという姉を残して、
病院をあとにしました。
実家に母を送り届けたあと、程ほどに疲れ果てている私たちは、調布ICから大月ICまでは
中央道で帰ることにしました。
途中、談合坂SAでみんなで食事をし、寒い中ではありましたが、お散歩も少ししました。
そして混雑している時間ではないからと、そのまま自宅最寄ICまで中央道で帰宅、
22時30分すぎに帰宅しました。
父の病名については伏せておきますが、食事を摂ることは問題ないはずなのですが、
入院する少し前から入院以降もほとんど食事をとることが出来ていません。
ほぼ普通食でしたが、あまるにも食べられず、入院5日目から喉越しがいいものをと、
重湯にスープにお茶、そしてジュース2種類、それでも一進一退を繰り返すように、
重湯とスープを5割、8割ほど食べられたかと思ったら、スープのみだったり…
固形物はもちろん、液体状でも嘔吐してしまう状態でした。
そんな父ですが、本日無事に退院しました。
病気の治療は完了、ただいろいろな検査の中でまだ気になることもあり、
これからも通院治療をします。
もちろん食事面も気になり、そんなお世話をする母の負担も気になりますが、
きっと自宅に帰宅して父もホッとしていることと思います。
今回、父とマロンのことがあり、そして誰もが気になるものを抱えつつ通院しながら
日々を過ごしていますが、健康であることの有難さをまたあらためて実感しました。
大切な家族に起こる出来事は、家族全体の問題になり、
家族の支えによってまた元気になれることが本当にいいことだと思います。
by marron_m_1015
| 2013-02-02 12:34
| 家族