東京へ
こんにちは。
先週9月1日(日)から3日(火)までのお話です。
この3日間は東京・実家を訪れました。
ひとりで1泊2日か、2泊3日か、それとも…といろいろ悩んでいましたが、
また前々日に体調がイマイチになり、前日はまずまず、当日もイマイチ…
そんなこともあり、私は1日(日)に出発、2日(月)にマロンとダンナさまがあとから
来てくれることになりました。
1日(日)はゆっくり午後からの出発、体調とのバランスを考えながらも最終準備、
午前中から2日(月)に持って来てもらう、実家へのお野菜や果物をお買いもの、
袋に仕分けて、冷蔵庫に入れて、マロンやダンナさまのお泊りの準備、
でも体調はイマイチで、行くのをやめようか、行く時間をさらに遅らせようかと考えながら、
予定していた特急を2本遅らせて、どうにか出発しました。
14時すぎの特急で甲府駅を出発、15時30分すぎに新宿駅到着、
ひとつだけお買いものを済ませて、遅いランチへ。
食欲もイマイチだったので、ゆっくり時間を掛けながら、どうにかいただきました。
そして17時前に新宿駅を出発、17時30分前にさいたま新都心駅に到着、
この日は斉藤和義20周年記念ライブでした。
昨年末の中野サンプラザのライブは京都の家族旅行と重なってしまい、
私の代わりにいつも一緒に観に行っている友人ふたりのうちのひとりの妹さんが
観に行ってくれました。
なので今回は観たい、さらに20周年記念ライブだし…とがんばってしまいました。
ライブまで間もなく さいたま上空
ライブに間に合うくらいにとゆっくり自宅を出発、
さらには友人とのライブ前やあとの食事やお茶も遠慮して、どうにか体調を整え、
ライブに臨みましたが、ライブにパワーももらえたおかげで、十分に楽しむことが出来ました。
ライブを終えて、友人とのまたの再会を約束して、実家へと向かいましたが、
久しぶりの夜遅い電車でドキドキしながら、
実家最寄駅から実家までは出来る限りの早歩きで、23時30分頃に実家に着きました。
父はもう休んでいて、母との話も程々にして、翌1時頃に就寝しました。でいて
2日(月)は8時頃に起床、朝は体調イマイチでしたが、だんだんと落ち着いてきて、
少しゆっくりめに、11時に予約していた美容院に出掛けました。
14時30分頃に美容院を終えると、もうマロンとダンナさまは実家に到着したとの連絡があり、
急いで帰宅しました。
美容院から帰宅してからは、しばらく家族でのんびりと過ごし、
16時すぎにマロンとダンナさまと3人で車で近くの蘆花恒春園を訪れてお散歩しました。
お散歩から帰宅してからも家族団らんの時間、
普段ほとんど連休のないダンナさまは私の実家に泊まるのは今年初、
アルコールがいただけない父と私を置いて、母はダンナさまと一緒に
楽しそうにほんの少しお酒もいただいていました。
3日(火)は7時30分頃に起床、この日は体調も落ち着いていましたが、
父は朝から血圧が高く、朝食のあとは横になったりしていました。
今年始めに入院してから、すっかり弱気になったしまった父、
運転免許返上、自転車には乗らず、あまり歩かず…
そして母にだけ向けられる短気なところは変わらず…
暑さに弱いこともあり、この日は父はお留守番となりました。
お家のことをきちんと済ませないと気が済まない母なので、少し遅く11時頃に出発、
マロンと母とダンナさまで、初めて谷根千…谷中・根津・千駄木を12時頃に訪れました。
マロンスマイル♪
千代紙のお店 いせ辰
かわいい雑貨屋さん
よみせ通り
谷中銀座
カフェで軽いランチ
夕やけだんだん
この日はとてもいいお天気、日差しも強く、暑かったので
なかなか思うように行動出来ませんでした。
母を疲れさせないように、
そしてマロンは初エアバギーでアスファルトからの足の暑さは免れても
暑いのは変わらず、保冷剤やクールバンダナやひんやりタオルを駆使しました。
スカイツリー
私が行きたかったお店は定休日と知っていましたが、
ほかにも予定していたパン屋さんは売り切れ、
母が父のために行きたかった根津たいやき屋さんはおやすみ?売り切れ閉店?でした。
そしてダンナさまが行きたかった半てんと足袋のお店、めうがやを訪れて、
千代紙柄と家紋柄の足袋をお買いものしました。
実家への帰路に着きつつ、もう少しゆっくりのんびり、
涼しくなってからまた楽しみたいなと思いました。
実家近くに来て、ラトリエドゥプレジ―ルで、自宅用のパンをお買いものしました。
ラトリエドゥプレジ―ル
帰宅すると、父は相変わらず横になっていて、
とあることで来た私の姪、父の孫とは1時間くらい話したりしたみたいですが、
お昼は食べなかったとのことで、父の夜ご飯を食べ終えるのを見届けて、
19時すぎに実家をあとにして自宅への帰路に着きました。
調布ICから高速に乗り、普段は談合坂SAでひとやすみをしますが、
ダンナさまが早めに帰宅出来ればいいし、あまり疲れていないから大丈夫とそのまま通過、
でも初狩PAでひやすみ、お散歩と軽く食事をしました。
そしてお散歩をしていると笹子トンネル天井板崩落事故の献花台がありました。
2012年12月2日朝、もしかしたら私たち家族も通っていたかも知れない日でもありました。
それでなくても普段から実家に行くときなどには通る場所、
東日本大震災も心に大きな空洞が出来てしまいましたが、
この崩落事故も私の心の中にはかなりの空洞が出来てしまいました。
笹子トンネルを通るときは上り下りとも、助手席の私はいつも黙祷していますが、
献花台にはマロンとダンナさまとみんなで黙祷を捧げました。
自宅に着いたのは22時30分頃でした。
あっという間の実家滞在、両親とのひとときでした。
そして今日は父の経過観察のための検査日、月末には検査結果が出ます。
何事もないことを祈るばかりです。
先週9月1日(日)から3日(火)までのお話です。
この3日間は東京・実家を訪れました。
ひとりで1泊2日か、2泊3日か、それとも…といろいろ悩んでいましたが、
また前々日に体調がイマイチになり、前日はまずまず、当日もイマイチ…
そんなこともあり、私は1日(日)に出発、2日(月)にマロンとダンナさまがあとから
来てくれることになりました。
1日(日)はゆっくり午後からの出発、体調とのバランスを考えながらも最終準備、
午前中から2日(月)に持って来てもらう、実家へのお野菜や果物をお買いもの、
袋に仕分けて、冷蔵庫に入れて、マロンやダンナさまのお泊りの準備、
でも体調はイマイチで、行くのをやめようか、行く時間をさらに遅らせようかと考えながら、
予定していた特急を2本遅らせて、どうにか出発しました。
14時すぎの特急で甲府駅を出発、15時30分すぎに新宿駅到着、
ひとつだけお買いものを済ませて、遅いランチへ。
食欲もイマイチだったので、ゆっくり時間を掛けながら、どうにかいただきました。
そして17時前に新宿駅を出発、17時30分前にさいたま新都心駅に到着、
この日は斉藤和義20周年記念ライブでした。
昨年末の中野サンプラザのライブは京都の家族旅行と重なってしまい、
私の代わりにいつも一緒に観に行っている友人ふたりのうちのひとりの妹さんが
観に行ってくれました。
なので今回は観たい、さらに20周年記念ライブだし…とがんばってしまいました。
ライブに間に合うくらいにとゆっくり自宅を出発、
さらには友人とのライブ前やあとの食事やお茶も遠慮して、どうにか体調を整え、
ライブに臨みましたが、ライブにパワーももらえたおかげで、十分に楽しむことが出来ました。
ライブを終えて、友人とのまたの再会を約束して、実家へと向かいましたが、
久しぶりの夜遅い電車でドキドキしながら、
実家最寄駅から実家までは出来る限りの早歩きで、23時30分頃に実家に着きました。
父はもう休んでいて、母との話も程々にして、翌1時頃に就寝しました。でいて
2日(月)は8時頃に起床、朝は体調イマイチでしたが、だんだんと落ち着いてきて、
少しゆっくりめに、11時に予約していた美容院に出掛けました。
14時30分頃に美容院を終えると、もうマロンとダンナさまは実家に到着したとの連絡があり、
急いで帰宅しました。
美容院から帰宅してからは、しばらく家族でのんびりと過ごし、
16時すぎにマロンとダンナさまと3人で車で近くの蘆花恒春園を訪れてお散歩しました。
お散歩から帰宅してからも家族団らんの時間、
普段ほとんど連休のないダンナさまは私の実家に泊まるのは今年初、
アルコールがいただけない父と私を置いて、母はダンナさまと一緒に
楽しそうにほんの少しお酒もいただいていました。
3日(火)は7時30分頃に起床、この日は体調も落ち着いていましたが、
父は朝から血圧が高く、朝食のあとは横になったりしていました。
今年始めに入院してから、すっかり弱気になったしまった父、
運転免許返上、自転車には乗らず、あまり歩かず…
そして母にだけ向けられる短気なところは変わらず…
暑さに弱いこともあり、この日は父はお留守番となりました。
お家のことをきちんと済ませないと気が済まない母なので、少し遅く11時頃に出発、
マロンと母とダンナさまで、初めて谷根千…谷中・根津・千駄木を12時頃に訪れました。
この日はとてもいいお天気、日差しも強く、暑かったので
なかなか思うように行動出来ませんでした。
母を疲れさせないように、
そしてマロンは初エアバギーでアスファルトからの足の暑さは免れても
暑いのは変わらず、保冷剤やクールバンダナやひんやりタオルを駆使しました。
私が行きたかったお店は定休日と知っていましたが、
ほかにも予定していたパン屋さんは売り切れ、
母が父のために行きたかった根津たいやき屋さんはおやすみ?売り切れ閉店?でした。
そしてダンナさまが行きたかった半てんと足袋のお店、めうがやを訪れて、
千代紙柄と家紋柄の足袋をお買いものしました。
実家への帰路に着きつつ、もう少しゆっくりのんびり、
涼しくなってからまた楽しみたいなと思いました。
実家近くに来て、ラトリエドゥプレジ―ルで、自宅用のパンをお買いものしました。
帰宅すると、父は相変わらず横になっていて、
とあることで来た私の姪、父の孫とは1時間くらい話したりしたみたいですが、
お昼は食べなかったとのことで、父の夜ご飯を食べ終えるのを見届けて、
19時すぎに実家をあとにして自宅への帰路に着きました。
調布ICから高速に乗り、普段は談合坂SAでひとやすみをしますが、
ダンナさまが早めに帰宅出来ればいいし、あまり疲れていないから大丈夫とそのまま通過、
でも初狩PAでひやすみ、お散歩と軽く食事をしました。
そしてお散歩をしていると笹子トンネル天井板崩落事故の献花台がありました。
2012年12月2日朝、もしかしたら私たち家族も通っていたかも知れない日でもありました。
それでなくても普段から実家に行くときなどには通る場所、
東日本大震災も心に大きな空洞が出来てしまいましたが、
この崩落事故も私の心の中にはかなりの空洞が出来てしまいました。
笹子トンネルを通るときは上り下りとも、助手席の私はいつも黙祷していますが、
献花台にはマロンとダンナさまとみんなで黙祷を捧げました。
自宅に着いたのは22時30分頃でした。
あっという間の実家滞在、両親とのひとときでした。
そして今日は父の経過観察のための検査日、月末には検査結果が出ます。
何事もないことを祈るばかりです。
by marron_m_1015
| 2013-09-10 12:16
| 家族